今回のヒト課題は、投資先企業の社員とのコミュニケーション全般にわたる課題を概観してみたいと思う。コミュニケーションは投資の成否を左右する重要なテーマだからである。
「リ・リクルート」
PEファンドが関わることが分かった時点で、変化への期待と恐れの感情が巻き起こる。社員にとって会社のオーナーシップが変わることほどインパクトの大きい変化はない。
ケースバイケースではあるが、通常は極限られた人にしかコミュニケートできない状況の中でトップ人事を含む新しい企業の姿が決まり、決まった時点で基本的な枠組みが速やかに公表されることとなる。ほとんどの社員はマスコミ報道で初めて知ることになる。
「人材」の観点からは、この時が最も危険なタイミングである。競争相手にとっては、欲しい人材を獲得できる千載一遇のチャンスに見える。M&Aが日常茶飯事の欧米では、業界で名を知られた人材には、このような変化をとらえヘッドハンターから何本も電話がかかり、誘いメールが届く。
新しい会社でのポジションが不明確なタイミングに具体的な役職と魅力的な報酬が提示される。心動かされるのは当然である。
PEファンド担当者の最初のチャレンジが、対象企業でキーとなる人材の見極めと引き止めである。経営中核人材と、主要な事業及び機能の実質的なリーダーが対象である。各リーダーのポジションと報酬スキームをデザインしコミュニケートする。新生企業にとってあなたがいかに大事な人材かを伝え、期待役割、報酬スキームと期待水準を開示し、本人のコミットメントを確認する。このプロセスを「リ・リクルート」と呼び、新たな人材の確保時と同程度のコミットメントと「投資」を行う必要がある。
経営人材の場合、欧米ではその報酬スキームにオーナーシップチェンジ条項が付いているケースが多い。企業が買収された時点で、将来行使予定のストックオプションが即時現金化されるのである。つまり魅力的な退職金が支払われてしまうという「引き離し力」が働いてしまうのである。新たな魅力的な報酬スキームをデザインし速やかに伝えることが鍵である。
「組織変革の原理原則」
買収対象の企業には、通常様々な経営課題が存在している。しかも課題が深刻であるケースも多い。大半のケースでは、買収後に速やかに「組織変革」を成功させねばならない。当然、社員は大きな不安を抱えているはずである。
基本的に「社員はとても賢い」ので、買収後にどのようなことが起き、自分にとってどのいう意味があるかを慎重に見極めようとする。したがって、リーダーシップチームのリテンションの次に取り組むべきは、社員に対する「変革コミュニケーション」である。
何をコミュニケートすべきか。「組織変革の5原則」に従えば良い。第一に「なるほど感のある変革ビジョン」の提示である。例え「リストラ」が重要な施策だとしても、その前に組織の持つ「本来の価値」、つまり顧客や社会にとってどんな新たな価値を生み出す企業に進化させるかの将来像を提示する。その実現のために、会社の仕組みを変えることが必要であると理解してもらう。
第二に「競争力のある変革リーダーシップチーム」の組成である。今までと違う新たなリーダー群が見えるかどうか。ここが会社は本当に変わるのか、社員が変革の本気度を見極める鍵となる。妥協すれば、社員の様子見態度が広がってしまう。
第三に「具体的、実行可能なアクションプラン」を描き、社員一人ひとりの行動変革を促す。ここまでは、ある意味最低限必要な「ハードな変革」のコミュニケーションである。しかし人間は論理的な存在ではない。頭で理解はできても、必ずしも行動の変革につながらないことを我々は経験している。
そこで、残る2原則、「変わりたいという危機感」の醸成と、「結果が出るまでやりきる企業文化」の創造という「ソフト面の変革」が必要となる。ここをコミュニケートする最も有効な方法が、人事制度の改革である。つまり基本的な「ゲームのルール」が変わることを心底から理解し、腹に落としてもらうのである。
「元気玉」
以上の5原則をしっかりと満たしたとしても、必ずしも組織変革が成功するわけではない。なぜならば、それらは必要条件ではあるが、変革が成功するための十分条件を満たしているわけではない。変革の実現には、何か「元気玉」と呼ぶべきものが必要である。
元気玉とは、新しい企業の姿を予感させる、象徴的な「変化」である。新製品や新サービス、あるいはある地域への新しい投資であったり、今までにない機能横断型チームであったりする。
この元気玉は意図的に作り出すものである。従来の経営スタイルではできなかった思い切った優先投資を行うことが多い。経営がうまくいっていない企業では、投資が分散してしまい、有望な案件にも閾値を超えるリソースの投資がなされていないケースが多い。
したがって、元気玉の候補は必ず見つかるといっても間違いではない。好ましい結果が出るまでやり切り、「変革の象徴」に育てていく。
「コミュニケーション・デザイン」
一連の変革プロセスをいかに効果的に社員にコミュニケートしていくか、このデザインを当初から行い、一つ一つ着実に実行していく。基本は、徹底ディスクロージャーとオーバーコミュニケーションである。
コミュニケーションはシンプルな原則に従うものである。コミュニケーションの歩留まりは、トップがコミットするコミュニケーションの頻度と費やした時間に比例する。社内システムの中に、変革サイトを設け、リアルタイムで「変化」を発信していく。社員一人ひとりにトップから「変革メッセージ」が直接届く。できれば週一の頻度で、繰り返し変革へのチャレンジを促す、意味のあるメッセージを伝えていく。「元気玉」の生き生きしたストーリーが伝えられる。
日本人のトップには「そこまでしなくても分かってくれる」という甘えがある。日本人のみの組織ならある程度通用しても、グローバル企業では「オーバーコミュニケーションの原則」に従う必要がある。
そして、この変化を持続させるために人事制度の変革を仕掛けていく。
今回は、コミュニケーションに焦点を当てて、変革プロセスデザインのポイントを説明した。次回は、人事を中心としてどのように制度変更を進めるべきか、その要諦を概説したいと思う。
***
『PE投資先のヒト課題』のコラムは計3回の連載を予定しております。
著者プロフィール 淡輪 敬三(たんなわ・けいぞう)
ヒトラボジェイピー/HitoLab.jp シニア・アドバイザー
日本鋼管株式会社(NKK、現JFE)、マッキンゼーアンドカンパニー、ワトソンワイアット/タワーズワトソン(現ウイリス・タワーズワトソン)を経て現職。
マッキンゼーでは、パートナーとして内外の大企業に対して、長期ビジョンの構築、経営戦略の立案、全社組織の設計、組織能力開発など、9年間数多くのプロジェクトをリード。ワトソンワイアット及びタワーズワトソンでは、19年近く、伝統的な日本企業の人材マネジメントをグローバル経営に進化させる支援を行う。また自社の合併に伴う経営システム、組織文化の統合を、アジアパシフィック部門の経営メンバーとして、また日本法人の代表として指揮、統括。2016年1月の立上げから参画したヒトラボジェイピーでは、経営者層のアセスメント及びコーチング、指名委員会のデザインと運用サポートなど、日本企業の経営人材強化とガバナンス改革に注力している。
現在、(株)キトー、曙ブレーキ工業(株)、インヴァスト証券(株)、(株)ZMPにて独立社外役員、立命館大学ビジネススクール客員教授、公益財団法人WWFジャパン代表理事副会長、国際キワニス日本地区事務総長、日本ビジネスモデル学会運営委員、さらに数社のスタートアップ企業の経営支援など多方面で活動。
休日には、テニス、ゴルフ、スキー、トレーニングジムやジョギングなど、スポーツ全般を楽しむ。
東京大学工学部航空学科宇宙工学卒業
東京大学工学系大学院修士課程修了
スタンフォード大学大学院修士課程修了
◇主な著書
『ビジネスマン プロ化宣言』(かんき出版) 2002年
『釣りバカ日誌「ハマちゃん流」』(共著/日経新聞社) 2004年